各国の教育

参考http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05082301/018.htm

 

・各国の教育目標

 やはり共通しているのは将来、その国を支える子どもたちが「社会に出て生きていくための力を養う」教育であります。日本では(知識・技能・人間性)を育むことが目標としています。諸外国でも少し言葉は変わりますが社会で生きていくための人間性の発達、判断力や生産、社会に出るまでの準備として教育が設けられているようです。その他で各国共通していることは、公立校の学費を免除していることと、学力の判定は「絶対評価」で行っているという部分のようです。

各国の教育権-比較

・各国の教育権と比較

 日本と同じぐらいの年数であるアメリカ・ドイツ・フランス・イギリス・韓国と教育権について比較してみたいと思います。

 

参考http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05082301/018.htm

 

 これを見てみると「子どもには教育を受ける権利」と「親は子どもを教育する義務がある」という教育権は各国の基本となっているのが分かりました。細かな違いを見てみれば「子どもを教育する義務はあるが、就学させる義務はない」という事と「国が説教的に教育施設などの支援や教育費の援助をしているか」という違いがあるようです。それ以外では、この権利と義務を破った場合についても各国で異なっています。

 

 ドイツでは日本を含む諸外国とは異なり、子どもには「教育を受ける権利」と「就学する義務」が与えられています。このため、ドイツでは子どもが学校に行かなければ親もその責任を問われ、子どもと共に厳しく処罰されるそうです。

 

 一方日本ではどうなのか言えば、不登校という問題がよく世間で取り上げられているが、「学校に行かないため処罰された」なんて話は聞きませんよね?不登校は違反行為であることは示されてはいるのですが、学校教育法施行令20条は「出席させないことについて正当な理由がない場合」を違反行為としています。そのため、いじめや家庭内の問題がこの正当な理由に全てまとめられてしまっているために、義務教育と定められていながらも学校に通わない子どもたちが日本に多数いることが考えられます。

 

 国を維持するために、子どもへの教育を重要視しているというものと、国が国民を教育するのではなく、親は子どもに教育を施さなければならない。また子どもは教育を受ける権利がある。が共通していることだという事がわかりました。違いは、就学義務があるかないか、また違反した際の処置などが挙げれます。

 

 

教育権について考える②

・諸外国の義務教育(wikipediaより引用)

 

 諸外国の義務教育の年数はこのようになっているようです。一番期間が長いのはマカオで、一番短いのは0年というのがちょっと驚きですね。

 

・比較

 日本では小学校(6年間)中学校(3年)の6-3が義務教育となっております。まず最初にアメリカと比較してみたいと思います。日本は戦後アメリカの教育制度を模倣しているので、あまり大差がないと思ったのですが、そうでもありませんでした。

 

アメリカの場合

 wikipediaから引用した部分に(州によって異なり、12年の州もある)とされている通り、アメリカは日本と違い、国全体が統一された教育制度ではなく、その州によって異なった教育制度が定められています。現在では義務教育を12年間に定めている州が多いようです。また、日本のように6-3-3と分かれているわけではなく、12年間を一まとめにしている所もまた日本とは違う所です。

 

次回はドイツと比較してみたいと思います。

教育権について考える②

・義務教育=(ぎむきょういく、Compulsory education)とは国・政府・人(親)などが子どもに受けさせなければならない教育のことである。義務教育の制度は、多くの国において普及している制度であるものの、国ごとに制度の仕組みは異なる。

                                 wikipediaより

 日本では中学までの9年間が義務教育に指定されています。教育権には教育をする権利と受ける権利がありましたが、前者の教育する権利の範囲はこの義務教育の範囲であることが見受けられるかと思います。つまり日本では社会に出る上での最低限の土台が中学卒業の時点で完成されているという事になりますが、「中卒」と検索をかけてもらえれば現代の日本社会では中学卒業後に就職した場合、社会では生きづらいという事が

わかるかと思います。

 

 そもそも教育とは社会で生きていく上での土台を作ることが目的とされていますが、何故その土台を作るのかというと、より良い人生をおくることが目的であるからです。ですが、今の義務教育の体系では、果たして子どもたちがより良い人生を送ることのできる最低限の土台を作れているのかと言うことに疑問を持ちます。何故かというと、現代の中学での教育は殆どの場合、高校に進学することを前提としているため、社会に出る子どもたちに対して何か技能や専門知識を与えるとか、そういった教育が少ないためです。ですから義務教育を、社会に出る上での、それこそ最低限の技能と知識を与えてくれる高校まで引き伸ばすべきなのではないかと思ったわけです。以前からも義務教育の延長については話し合われていたようで、実現はしませんでしたが、民主党のマニュフェストにも高校までの義務教育化が加えられていたようでした。対して、現行の制度の維持が望ましいのではないかという意見もあります。

 

文部科学省の義務教育についてのページを引用http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05082301/007.htm

 現行制度の維持が望ましいとする意見)

  •  社会の多様化を考えれば,中学校を卒業して社会に出るパターンが今後も存在して良い。高等学校を全員入学にすべきという議論には賛成できない。
  •  階層差や地域格差は解消すべきだが,教育には一定の受益者負担の歯止めは必要であり,高等学校まで無償にする必要はないのではないか。

 という意見があります。現代の社会は様々なあり方が認められている社会です。ですから「中卒後働くといった選択肢があってもいいではないか」というものなのでしょう。二つ目はお金に関する問題です。高校までを義務教育化するとなると、当然そのためのお金が必要となります。そのため国民の税金があがることになるため、そういった国民全体の負担を増やさないためにも、高校からは個人が学費を支払うようにしたほうがいいのではないかというものです。

 

・反論

 社会の多様性が認められているからと言っても現行制度を維持し続けることは「家庭の事情で中卒後働こうと思い社会に出てみたが、就職することができない子ども」というあり方もみとめてしまうことになりますよね。格差社会を無くそうという意向もこの内容に含まれているようですが、そんなあり方を認めてしまってはいつまでたても格差はなくならないのではないでしょうか?それに、教育については最初に書いた通り「国・政府・人(親)などが子どもに受けさせなければならない教育のことである。」とされていいます。ですから親に限らず、その国に住む人たち全体でその国に住む子どもたちがより良い人生を送られるように助力するべきなのです。

教育権について考える

家庭の都合で中学を卒業した後、進学せずに就職した子どもの場合を考える

 教育権とは=国民の三大義務の一つである。親は子どもに教育を受けさせる義務があり、子どもは教育を受ける義務がある。ということは前回までのことでわかりました。

 

 今日は個人的に疑問に思っていたことを題材にしてまとめてみようと思います。大学のパワーポインタを使用した発表の課題で「卒業間近の中学三年生に10分間のスピーチをする」というものがありました。その課題の内容の中に「中には高校に進学せず、就職する子どもも数人いる」という事を想定したものでした。

 

 今の日本では高校に進学することは当たり前のようになっていますし、現代の社会においても「高卒」という学歴は就職するにおいても最低限のラインとして扱われている所もあるようです。そんな中で高校に進学せずに、就職することを選ぶ子どもたちは一体どうしてその道を選んだのだろうか?と課題をやりつつ私自身それに対して疑問に思いました。

 

 教育権には「教育を受ける義務」が子どもに課せられていますが、それが強制的に適用されるのは義務教育に定められている中学校までです。ですから、それ以降進学するかどうかは本人や親の判断に任せられているようです。

 

 親も子どもも納得して中学卒業後に就職する場合もあれば、「子どもは進学したいと考えているが、親は子どもの学費を払うことができないため、就職することしかできない」という場合もあるでしょう。こういう場合を考えてみると、教育権が適用されるのは義務教育の期間までのことなのだろうか?と私は疑問に思いました。

 

 もしそうなのであれば、現代の社会の状況に合わせるように、義務教育も高校までを義務教育にすれば、こういった問題は解決できるのではないかと思いますが、なかなかそうもいかないようです。

 

次回はこの続きを詳しく書いていきたいと思います。

 

 

某テレビ番組でのこと

明けましておめでとうございます。

 

・国民の三大義務

 年末恒例の某テレビ番組を見ていた時に「国民の三大義務とは?」という問題が出ていました。国民の三大義務とは前回も少し触れていた「教育を受ける/受けさせる=(教育権)」「勤労」「納税」の三つです。この番組に出ていた芸能人の方はその問題を間違えて答えてしまい、他の出演者の方や親から「もっと勉強をさせておけばよかった。親として恥ずかしい」とか「こんな問題間違えないやろ!」と散々言われてましたね・・・

 

 自分社会に出た後に恥をかかないためにも、やっぱり勉強はしておかないといけないなっと最近よく感じてます。友達同士なら曖昧なこと言っても大丈夫かな・・・とか思ってると結構痛い目みるなぁと。

 

相手がネチネチしてるとか細かい奴だとか、そういうのもあるかもしれないですけど、やっぱり自分自身の尊厳を守るためっていうのもありますけど、バカにされないようにちゃんと努力して勉強しないといけないですし、考える力をつけていかないと生きにくくなるっと2014年を迎える前に気づけてよかったと思っています。

 

それでは今年もよろしくお願いいたします。

親と子どもの教育権について コメント返し

・前回のコメント返し

 嫌な教育を受けなくていい権利・・・そうですよね。子どもたちの視点で見てみると、非行少年たちの中には「勉強が嫌だ」という理由で学校に通わなくなった子どもいると考えられます。それ以外場合においても、いじめや学校の不満によって学校に行かなくなった生徒たち全員に教育を受ける権利とは反対の教育を受けなくてもいい権利が与えられいるように思えます。親も学校も子どもに学校に通わせる強制力がないようにも見えます。